「慙愧に耐えない」こそ懺愧に堪えないよ、シンゾー君

例によって、休みの朝は5時に目が覚めてしまう。
昨日書きたかったネタを書いてみる。


昨日の昼は、神保町古本屋めぐり。毎週金曜は古本屋デイにしようかな。
目当ては辞書類。広辞苑大野晋の「類語辞典」、水庭進の俳句辞典など。
広辞苑は割りとサクッと安くて良い物が、靖国通り沿いで見つかった。1970年代の岩波のものが1200円。ついでに「類語辞典があるか」聞いて、すぐにあったが値段が2000円。微妙だなあ。家に一冊あって、会社に置いとく用なのでなあ。今日はやめとこう。水庭氏のものは、今回の旅では見つからなかった。

さてさて、会社に戻って早速なにかを引いてみようと思ってふと思いついたのが、最近よく政治家や会社トップが口にする「慙愧(ザンキ)に耐えない」。たしか、松岡大臣の訃報に接したシンゾー君も口先だけで言ってたなあ。
引いてみると、なに??
「はじること、はじ ?悪口をいうこと、そしること」あれ??
ということは、慙愧に耐えないは、「恥ずかしくてどうにもならん」という意なのか?
弔意を表す言葉ではないようだな。それとも、30年後の現代は意味が変わったのか?そんなことないよな。

で、今、大野先生の類語辞典を引くと、そもそも漢字も違うぞ「懺愧」=自分の行為を顧みて懺愧に堪えない。反省して、深く恥じ入る。
なんて書いてある。不祥事を起こした会社の社長にはピッタリ。

ということで、シンゾー君「懺愧に堪えない」とあの状況でのたまうことこそ、”懺愧に堪えない”のだよ。
まず、日本語からやり直したまえ。
もっとも、今回の氏の死が100%自分の責任で、そういう意味で正しく使われたのならばよろしいが、もしそうだとすれば、引責辞職するということになるね、普通。
マスコミの方々、あそこで突っ込まないといけませんな。
「懺愧に堪えないとはどういうことですか?自分の責任で、深く恥じ入っているということですか?」と。
察するに彼は、「痛恨に堪えない」というつもりで言ったのだろうから。野党も最大のチャンスを逃しましたな。

というか、自分も含めて、もっと日本語勉強しようぜ。


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朝から堅苦しい話になってしまったが、昨夜は杉並公会堂の日フィルの定期演奏会というか、公会堂一周年記念コンサート。山田宏君も挨拶に来ていた。

お題は、子供シンフォニー、ブルッフのバイオリン協奏曲1番、ブラームス2番。
感想は、4月の時の倍ぐらいよかった。
・ 子供シンフォニー/あまり期待してなかったが、杉並児童合唱団の子らの声に、心を洗われた。なかなかすばらしい曲。しかし歌詞はなかなか聞き取れなかった。これでは、洋楽の歌詞が聞き取れなくっても当たり前である。
ブルッフ/ソロは漆原朝子氏。これもなかなかすばらしい。バイオリンの響きにまたまた心を現れる。
ブラームス2番/昨日、「聴いたことがない」と書いたが、実際聴いてみると記憶にあった。ブラームスの4つのシンフォニーの中では一番重くなく、「田園」的というように、パンフレットに書いてあったが、どうしてどうして。
第一楽章/第二主題のあとぐらいからの、重低音のドライブ感はすばらしい。しかし、第一楽章から三拍子はめずらしい。
第二楽章/あまり印象はないが、ホルンの息の長いソロが聴かせどころかな。
第三楽章/第一番の三楽章を思い出させる木管のテーマ。
第四楽章/中低音の弦でソロソロっと始まるのが良いね。そこから最後はものすごい盛り上がり。
正直いって、スタンディングオベイションがあっても良かったのではないかと思う。
ヨーロッパだったら立ち上がってるね、といってもヨーロッパでコンサートを聴いたことはまだない。


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■今朝のどんど晴れ
最近の中では一番良かったでござる。
予定どおり雪解けで、訴訟は取り下げてくれた。
大女将は、夏美が女将になることは、あきらめたことを告げた。

夏美は実家のケーキ屋の厨房に入り、いきなりケーキを作り出し、それに熱中しながら気持ちを整理する。
焼く手間のところで、気持ちに踏ん切りがついた時の表情が良かった。



さてさて、もう少ししたら合気道稽古。

午後は、横浜の実家かな。