環境ファシズムっぽい

洞爺湖サミットはなんとなくさっぱりって感じ。
来月のバンドでボーカルとってもらう、大学時代の友人がサミット現場ではがんばっているらしいが・・・。


2050年に、1990年のCO2排出レベルイの85−90%まで削減とね。
そんなこと現実的なのかなあ。超ストレッチな数値目標を掲げて、そのプロセスは後で考えろ、みたいのが見え見え。


そもそも、最近浮かれたように「環境だ、エコだ」と騒いでいるときは要注意。
今や、スーパーでエコバッグを持っていないと人間じゃないみたいな雰囲気。

しかし、レジ袋を廃止するのはいいけど、企業がこぞってエコバッグを大量に作るのに、石油たっぷり使っているのはどうなのよ?

それに、来年の今頃まだ「エコエコ」と騒いでいる自信ありますか?


まず、根本的に競争社会をやめる方向に持っていかないと解決しない、つまりもう資本主義に基づいた自由競争社会の敗北宣言をしたほうが早い。

といって、社会主義共産主義を標榜するものではないが、新たな形の国歌経営のありかたを考えなければ、何の根本解決も見ないのだよ。

まして、CO2を排出する火力発電を減らして原発を増やせなんて、気が狂っているとしか思えない。


いっそのこと、地球の寿命というのを決めてしまって、そこに向かってゆるやかに生きる、というロードマップを書いたらどうなのか??

カラマーゾフの兄弟」の中で、スメルジャコフが言ってたのか、イヴァンだったか忘れたが、「もうすでに、この星みたいのが何百万回も生まれて消えていったといった歴史があるかもしれない」というフレーズがあった。
確かにそれは誰も証明できないし、否定もできない。



今朝は、6時ごろ目が覚めて、そのとき頭の中でブラームス交響曲第四番第一楽章が鳴っていたので、起きてそのCDを探して(LPは持っていない)それを聴きながらそんなことをつらつら考えていた。