1Q84 ふりかえり

5時に目が覚めてしまった。
今から横浜の実家に行って、たしか先月行ったときに風呂の栓を抜くのを忘れたので、それをやり、軽く年末の掃除をして、みんなが起きるころには帰るという企画を考えている。


今年の100冊の最後が「1Q84」で、村上の作家生命が終わったと書いたが、もう少し感想を書くと・・・、

・気持ち悪い読みやすさ。高速道路に例えると120キロで走っていてもついていける。
 高橋和巳の「邪宗門」だと、60-70キロで走ってやっと付いていける感じ。
 昔の村上だと、90-100キロで走って内容理解する感じ。
 
おそらく、携帯小説、携帯漫画世代の中高生女子をターゲットにしたと思われる。
あるいは、活字離れの大人なのかもしれないが。


・不必要な性描写が多い。これも大衆迎合ですかな。

・あきらかにオウムを意識した「さきがけ」の存在。
 もう少し接点のない架空の団体にした方がよいと思う。

・20年前、一瞬心がかよったという思いの相手を20年間思い続ける。
 天吾と青豆のことだけど、そんなことはまずない。

・クライマックス。
 青豆の自殺/父の布団に空気さなぎ/そのコクーンに青豆のドウタ
  ↓
 それなにの、なぜ「青豆をさがす」という気持ちで終わるのか??


おまけに、ヤナーチェクである必然性はまったくないのに要所でモチーフとしてつかわれ、結果としてCDが売れる。


結論づけると、村上春樹という世界ブランド、ノーベル文学賞一歩手前という存在だけで売れたのであって、小説としては「カス」と断定せざるを得ない。


それに気づかないで「ベストセラーを読んだ」ということだけで満足している人は、味もわからずに、とりあえず行列のできる人気店で食事した、という事実だけで満足している人となんら変わらない。


それが典型的日本人で、それを踊らすのがマーケッターだとすれば、その仕事もむなしい。


来年は、そんなことを踏まえつつ、次のことも考えて行きたい。



さて、5時42分。


そろそろドライブとするかな。