土曜ライブが終わり、日曜はやや疲れモードながら昼に特養へ行った。
そうしたらスタッフの方がおふくろの食事介助をしていて、もう残り少なくなっていた。
やはり「いつも大体完食です」は嘘ではなかったのだ。
口の開き方も自分たちが介助するときよりも大きく開いている。
うーん、違いはどこなのだろうか。
ワシが介助すると、めんどうがって口を開けないという説が有力な気もするが・・・・。
さて、そして昨日の祝日は昼に父方のいとこの会。
自分と姉とあと二人ぐらいかと思ったら、個室に案内されずいぶんと人が多くてびっくりした。
子ども二人入れて9人も居た。
所沢の従妹夫妻とその長女夫妻、そしてその子供二人ということでそういう人数になったわけ。
いとこの父にあたる伯父さんは、数年前に亡くなっているのだが、実はシベリア抑留帰り。
昔うちに遊びに来られた時には何も語ろうとしなかったように記憶しているが、晩年はいろいろと話していたそうだ。
ソ連が不可侵条約を破棄して侵攻してきたとき、満州人の家にかくまってもらおうとしたら、そこはもう一杯だと断られ、別のところに隠れていたところ、一杯だと言われた家が襲撃されて全員死んで自分は助かったことなど・・・。
それよりも驚いたのは、ロシア語の通訳もどきのことをやったおかげで重労働からは解放されていたらしい。
そんな話は聞かなかったし、長男にあたる従兄も知らなかったということにこちらが驚いた。
それだけ家族にもほとんど語らなったということだな。
シベリア抑留の話を風化させないためにも何か書くべきだなあとは思っているのだが・・・。