先日ちょっと書いたが、情報の断片をどうやって知識に構造化できるかが今後の我々の最大のチャレンジだと、パナマ?の知識人カルロス・フエンテスは言った。
そのことに触れている洋書をアマゾンで見つけてとりあえず注文した。英文で1000ページもあるので読めるかなあという気はしているのだが・・。
今日、松岡正剛氏の「知の編集工学」を改めて読み直している。
- 作者: 松岡正剛
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2001/02/01
- メディア: 文庫
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氏の編集学校の「守」と「破」を終え、師範代として教室を持つ手前まで行ったときに氏より署名、コメント付きでもらったのだった。
しかし、いろいろと事情があり教室は持たず、学校からも遠ざかってしまった。
本を読み進んでいくうちに、ちょっと引っかかった場所がある。
中世の時代ははヨーロッパにコーヒーハウスがあり日本には「茶の湯」があり、そこで様々な人々が集まり「知の編集・編纂」が行われ、政治、文化、株式会社、はたまた犯罪組織までが作られていった。
今のネット時代、そのような「場」がオンライン上にできているかというと、そうはならなかった。
フェイスブック上で書かれているのはせいぜい、今日昼飯はこれを食べましたとか、今日は誰々とどこそこで宴会やってますとか、やっとトランプはけしからんとか、そんなレベルだ。
フェイスブックはもうちとストック化すると思ったが、所詮は断片のフローなのだ。
やはり、ウェブ時代で人と人とのつながりが希薄になってきている今だからこそ、知が集まる場が必要になってきているのかもしれないなあ。
なんとなく、おぼろげながらイメージが少し見えかけているような気がする。
少しずつ能動的に、リアルに動いてみるか。