ストレプトマイシンの思い出

今月の日経「私の履歴書」は三井不動産の岩沙氏。企業人や政治家の履歴書は大概つまらないのだが、それでも幼少期についてはまあまあ読める。

今朝の話は、岩沙氏は中学の途中まではスポーツ好きの活発な少年だったのだが、中学3年時に突然結核の疑いとなり、ストレプトマイシンを打ったとのこと。その後は高校に入ってもしばらく運動はできなかったらしい。

さて、自分の場合は小4が終わって家族で北海道から横浜に移住。なかなかのカルチャーショックだったが、それなりになじんできたのだが、小5のいつ頃だったか、突然首の右側がバーンと張れた。それを父が揉んだら翌日あたりに大きなしこりとなった。「これはまずい」ということになり、母と二人でタクシーで横浜市港南区日野から虎ノ門病院まで行った。もう50年も前の話になるが、タクシー代は5000円台だったと覚えている。今なら2万円だろうな。

さて、その虎ノ門病院の医者は「結核」と判定し、ストレプトマイシンを注射したのだった。そしたら翌日全身に発疹が出た。要は誤診、やぶ医者だったのだ。さすがに医者の名前は憶えていない。

こりゃまずいということで、病院を替え、大船共済病院へ行ったのだった。診断の結果は何と言われたかはよく覚えていないが、なんか甘い錠剤を処方されそれをひたすら飲んだのだった。三井ふの岩沙氏と同様、体育は禁止だった。半年ぐらい体育はできなかったのではないだろうか?この時期は今思えば、まあまあつらかったなあ。その投薬治療も今になって考えると正しかったのかどうかは謎で、今の自分の東洋医学の知識があれば、何もしないで栄養のあるものを食べて放置していれば治ったのではないかと思う。自分の西洋医学への不信感というのは、このころの経験が通奏低音のように流れていて、それが基になっているような気がする。

それ以降は中学は2年でサッカー部に入り、歩けなくなるぐらい足を痛めたりもしたが、健康ではあった。

 

さて、昨日痛めた左足首だが、今朝はもう治ってしまった。実は昨日「東京タワー」を観ていて、観終わったときには痛みがだいぶ引いていたのだった。「映画が病気を治す、病気にする??」。それには少し伏線があり、1か月ぐらいまえの、遠藤周作原作、マーチン・スコセッシ監督の「サイレンス(沈黙)」を観終わった後から、いわゆる「飛蚊症」がひどくなった気がするのだ。

「そんなの気のせいだ」と思う人は9割。ただ、ここにも伏線があり、今年読んだ自分の先生?佐藤優の神学で社会現象を読み解くという内容の本がある。この中で先生はさりげなく、村上春樹の「騎士団長殺し」が東日本大震災を引き起こした「カイロス」になったと書いたのだった。自分としては、この本も含めてここ10年ぐらいの村上の小説はちょっと「????」という感じなのだが、「そうなのかなあ」と思う。

昨日妻の部屋の本棚をのぞいたら「騎士団」はあったので、読みなおしてみようかな。

 

さて、昨夜はロッテともどもルーキー同士の見ごたえある投げ合い、打ち合いとなった。細野は佐藤に3ランを打たれ、レイエスが満塁弾を打ち返し、流れが来たーと思ったら、マーフィーとザバラがしっかり試合を壊してくれました。これが2位と3位の違いなのかな? そうなると今晩も厳しいかな、という目で観よう。