被団協が有意義な活動をされていることについて、異論をはさむつもりは毛頭ない。
しかし、ノーベル平和賞ってそんなにありがたいものなのか?
まあ、例によってひねくれた性格が現れてしまうのだが、、ノーベル博士というのは人殺しの道具、つまり火薬を発明した人と理解している。その名を冠に戴いた平和賞という時点でかなり「ブラックジョークか?」と以前から思っていた。さらに、このノーベル賞を支えている西欧諸国の多くが核の傘を後ろ盾に、現在も行われている戦争の火に油を注いでいる、いわば「マッチポンプ屋」さんたちなのだ。
すなおにありがたがり、賞賛するのがポリティカリーコレクトなビヘイビアなのだろうけど、どうしても「ちょっと待てよ」と思ってしまう。
以前13年半所属した、ある世界のエクセレントカンパニーの時も、どんなにひどい話も美しいストーリーにすり替えるという場面を何度か目にしてきた。
たとえば、30代で過労・孤独死した女性について、そうさせた会社のシステムについてはいっさい糾弾することなく、当人の努力、会社への貢献への賞賛にすり替えたのだ。
その直属の上司についてはまったくお咎めなしだった。
そういうたぐいの話は要所要所で発生していた。一番大事な取引先をないがしろにするのなんて日常茶飯事だったかもしれない。
まあ、多少報酬は良いので、そういう感情を押し殺して粛々と働き続けるというのも、人間としての防衛本能としては有りなのかもしれないが、同時に「人間の良心」というものを少しずつ悪魔に売り渡していることも忘れてはいけない。
この2つの話の根底には同じものが、つまり白人の論理みたいなものが流れていると思ったので、あえてこんなことを書いてしまった。