オーラリティーとリテラシー

今日は天気が悪いので、弁当を持たしてもらい、昼は松岡正剛の無料動画を見ていた。氏の編集学校の末席を汚すものとして、何冊か本は読んでいるが基本的に難解だ。
しかし、千夜千冊のHPからのリンクページ、ぶひん屋で氏の動画が無料でたくさん見れるのだが、実際話すのを聴くとよく理解できる。

その中の一つの話で、「もともと人は16世紀ぐらいまでは本を音読していた。そのあとグーテンベルクが印刷技術を発明してからは、声を封印して黙読するようになった。最近のラップブームなどは、封印した声(オーラルなもの)を取り戻そうという動きなのだ。」というようなことを言っていた。口述(オーラリティー)なのか、読むこと(リテラシー)なのかによって、脳の感じ方や文化の形成のされかたも大きく違うのだろうなとあらためて思った。

そういう意味では、松岡正剛リテラシーでは敷居が高く、オーラリティーで低くなる(わかりやすくなる)ということなのか、それとも誰でもそうなのか、興味深いところではある。

ともかく、こういうすばらしいものが無料で眠っているので、これは見ない手はない。