昼休みに被災地と原発について思う

なんとなく、去年6月にいわきにボランティアに行った時の気持ち、今度もし福島以北に行くとしたら思う気持ちに似た感情は何かと思ったら、少し思い当たった。

1987年に一人で行った初の海外旅行、韓国。
自分が侵略したわけではないけど、先達たちが侵略し、日本語を強要した。

ディナーで向かいに座った、60歳ぐらいの夫婦が日本語で話しかけてきて、「なぜ日本語が上手なのですか」と間抜けなことを聞いたら「昔は日本語しか話せなかったから」と言われ、しまったと思い、謝ったこと。

巨大地震に自分の責任はないけど、原発から電気を送っていただいていたという負い目。

なぜか感情的にかぶるものがある。


ところで、原発はすべて止めるべきなのかという問題。

先日、itune ユニバーシティでMITの原発講座をバスの中でボーっと見ていた。
専門的だけれど、要は熱を出して、水蒸気でタービン回して
冷却するという単純な構造なのは分かった。

であれば、あらゆることを想定した「絶対安全な原発」って本当に不可能なのか?

そもそも、もう作っちゃって、停止・廃棄したとても人類が存続する限り続く放射能リスクを考えると、安全に稼働させるという選択肢はないのか?

そのあたりの冷徹な議論が生まれることを強く希望する。
(もちろんない方が良いに決まってるけど、50基以上作っちゃったんだもん)

幼児じゃないんだから、こういうことを感情的に語っても
意味はない。