自由は住みにくいか?

今更ながら、浅田次郎の「プリズンホテル」を読んでいる。
3冬にこんなフレーズがある。
「要するに、ガキどもにとっちゃ、リベラルな世の中なんてのア、不幸なだけでさあ」
監獄ホテルの黒田番頭の言葉。
このシリーズ自体は実にくだらない小説なのだけれど、ところどころに浅田節が出てくる。

「リベラル」っつうのはちょっと違う気がするが、まあ「自由」ですな。
ドイツ語では、自分がドイツ語で一番好きな単語「フライハイト Freiheit 」(ライのところは出来ればのどちんこを震わせてください)。
でも、フライハイトには日本語の「自由」と比べ物にならないぐらい深い意味があるという。

日本では、「自由」というのは、親、教育者の責任放棄でしかないのではないかと常々思っている。
だから、親とか教師とかから「おまえの好きにしていいんだよ」と言われると、若者はどうしていいかわからなくなる。
「よっしゃ」と言って、めきめき頭角を現す人はもちろんいる。でも、10人に一人いればいいかな。

だから、若いうちは、真剣にしばき倒してくれる人がいるほうがためになるのではないか。

まあ、日々の暮らしに汲々としているから仕方ないが、たまにはそんなことも考えてくださいよ。


今日は、午後、娘のバイオリンの先生のミニオケコンサート。
うん、、いろんなレベルの演奏が聴けて楽しい。


あと、昨日書いたかもしれないが、モーリス・ホワイトが亡くなったので、今日はモーリスを偲んでFACESを聴いている。
うーん、実にいいねえ。