伝説のアメリカンパブ(1987−1994)

amigo_kimura2006-03-20

10年来の友人がこのブログを読んでくれるようになったらしいので、彼と出会った伝説のアメリカンパブについて少し書いてみたい。

横浜磯子区産業道路沿いにあったアメリカンパブー名前は仮に「ILLUSION」としておこうーへ初めていったのは、確か28ぐらいの時だったと思う。その界隈に住んでいたのだが、最初はなかなか敷居が高そうで(常連で盛り上がってそうで)なかなか入れなかったが、91年の正月明けぐらいに友人と思い切ってドアを開けたのだ。
木目調の雰囲気のある内装、オールディーズを中心とした音楽等がすぐに気に入った。それよりも、マスターと女性アルバイトとのトークが異常に盛り上がり、次の日が仕事はじめだったのにもかかわらず、朝の4時まで飲んでしまった。

それ以来、店が閉鎖されるまで、週に5日はそこで飲んでいたと思う。
客層はバラエティに富んでいて、海上自衛隊の通称コマンド、メキシコ大統領の通訳をやってしまうようなメキシコ通のおじさん、誰かれ構わずエンジンの話しかしないカーメカニック、ミュージシャンのたまご達、普通の勤め人などが夜な夜な集まった。

イベントも盛んで、一番大掛かりだったのは、本牧ジャズフェスティバルの時に、ドラム缶を真っ二つにして作ったバーベキュー台で、特大バーベキューをやったこと。93年だと思うが、北方謙三さんが実行委員長だった時は、我々のバーベキューに寄って食べていってくれた。

パブの奥にはバンドスペースがあり、月に何度かライブをやった。
何かのパーティーで知り合った、当時22歳のケンジ君はプロ指向のブルースギタリストで、高円寺、阿佐ヶ谷界隈で活動していたのだが、その店を紹介したら、ライブで出るようになった。おそらくもう普通の勤め人になってしまったであろう彼に教えてもらったのが、ロバート・ジョンソンComplete Recordingsだった。

マリア、アンディー、キャシーなどのイギリス人NOVAティーチャーも店に彩りを沿え、貴重な英会話練習場にもなった。ちなみに3人とももうNOVAには居ない。

ある時は、アルジェリアの貨物船が石川島播磨のドッグに来て、その船員が遊びに来た。
いろいろ話すうちに、次の日船に乗せてもらえることになった。IHIのゲートでは、「船の中は治外法権だよ」といわれたが、結局細いはしご階段を登って中に入ってしまった。
貨物船のエンジンルームはかなりのド迫力だった。その時船員ルームで、アルジェリアとモロッコのポップスがかかっていて、いわゆるベリーダンス系の音楽と違って、かなり斬新な印象を受けた。
いつのまにか、その店は自分にとって無くてはならない存在になっていた。
甘酸っぱい思いもほろ苦い思いもあったと思う。


ところが、忘れもしない1994年の1月31日、いつものように店に行くと、「しばらくの間休みます」という貼り紙が、、、。
常連客7名ぐらいによる緊急カスタマーズミーティングが召集された。
「どうやらマスターは借金を抱えて、店がつぶれるらしい」
「いくらぐらい?」
「600万ぐらい」
「それなら俺が肩代わりする」
「やめなさいよ。つぶれるっていうぐらいだから、2000万は下らないよ」
そんなミーティングが毎晩のように持たれた。マスターとも会ったと思う。
実際、数万円貸した人も何人かいた。
結局、そのメンバーで店の差し押さえ現場に立ち会うことになった。もちろん初めてのことだったが、あらゆるものに紙は貼られていた。白だったかピンクだったかは定かではない。
未だにマスターがなぜ借金をこさえたのかは誰もわからない。
しかし、それまで気づかなくてわかったのは、マスターがアル中であったこと。確かにお客さんのお酒はよくもらって飲んでたけど、、、。女遊びをしていたわけでもなく、ギャンブルにはまっていた様子もなかったのだが、、、。

ともかく、常連たちの心にはポッカリと穴が開いてしまっていた。
自分は、94年の4月に9年間働いた会社を辞めて、アメリカにゴルフをしに行くのだが(http://d.hatena.ne.jp/amigo_kimura/20060317)、何年か立って振り返ったとき、会社の将来性を見限ったことも確かにあったが、この店の存在が無くなったことにも、半分ぐらい原因があったのではと思うのだ。
あのパブの思いではILLUSION(幻影)だったのかなあ。

それから10年後、自分は幸運にも結婚することになり、伝説のパブの住人も4人ほどパーティーに参加してくれた。
エンジンの話しかしなかったお兄さんは、僕のアメリカ留学に触発されたがごとく、青年海外協力隊でフィジーへ行き、その後セブ、バーレーンへと数奇な人生をたどり、とりあえず今は自分と同様日本に収まっている。
そして、僕のミャンマー時代(http://d.hatena.ne.jp/amigo_kimura/20060225)に知り合った友人を紹介したところ、月2回は一緒に飲んでいるという。


ILLUSIONで作った人脈はこのように連鎖している。

その後、中目黒に引越し、そこで似たような感じの店を見つけてやはり、週2、3回は通ったが、伝説のパブとは経験できることや、つながり感という点で比べ物にはならなかった。

中目黒が、パブ1.0だとすると伝説のILLUSIONのほうはパブ2.0ともいえる場だったのだ。