あしたのジョーのセリフですな。
そして、パラもすべて終わったのだった。
あっけないというか、もう充分というか。
閉会の日、3時過ぎに病院から電話がかかり、「いよいよか」と思い、始発で練馬に向かったが、姉から電話があり一旦落ち着いたとのこと。
とりあえず、ビッグサイトのMPCへ6時ごろ行き、PCや私物を引き上げて、姉の家に行った。
母の方は小康状態らしく、それから電話がかかることはなかった。
パラの試合をいくつか観て、夕方には家に引き上げた。
今日は8日だから、まだ頑張ってくれている。
さて、パラの方は、ラッキーなことに、陸上とブラサカなどを観ることができた。
抽選で当たっていて、観れなかった方が大勢いるので、大きな声では言えないが。
過去のパラも、テレビでもほとんど観た記憶がないのだが、かなり面白いと思ったのは収穫だった。
今月はもうほぼ休みモードで、そうは行ってもおそらく母の葬儀はあるだろうし、そんな感じで終わっていくのだろう。
来月からは出向元にもどり、何をするのかまだ不明だが、もしかしたら引き続きパラにかかわるかもしれないし、北京なんて可能性もゼロではないなと思う。
4月からの怒涛の聖火リレーもあったが、なんだかんだで貴重な経験をさせてもらった。
大会期の記者会見に向けては、山のように英訳をしたこともあった。これには、以前ジャパンニュースの社説を英訳してきたことが役立った。これは、1日1文でもいいから続けようかな。
というわけで、あまり中だるみせず、早めにねじを巻いていこうと思うのだった。