戦後70年 未来への手紙

ヤフーでそのような企画をやっており、まあ、有名人がコメントを寄せてなかなか面白いので、自分も
ここで便乗してみようか。
http://wararchive.yahoo.co.jp/letter/

テーマは
<あなたにとって戦争とは?>と<あなたが平和を感じるとき> です。

<あなたにとって戦争とは?>
昭和5年生まれの父は、おそらく色盲のため戦争に行けなかったことを悔しがっていたようだ。
父には十ぐらい上の兄がいて、非常に頼りがいのある人だったようだが、終戦の3か月前に沖縄で爆撃に
あって戦死した。あまり口には出さなかったが、大好きな兄を失って無念でたまらなかったのだろう。
ところで、我が家の宗教では、身内が亡くなると、近いところに生まれ変わるという言い伝えがあり、どうも
父が、ワシのことをその兄の生まれ変わりと思っていた節がある。その父も15年前に死んだので確認の
しようもないが。

また、父の姉の夫、つまりワシの伯父は戦後4年ぐらいシベリアに抑留され、強制労働をさせられていた。
昔そんな話を聞いたことがあるが、本人はシベリアの話は一切しなかったと思う。

というわけで、戦争というものはどちらかというと自分にとっては身近なもののようだ。

小学校、中学校あたりまでの教育では、歴史を習うと最後は第二次世界大戦になり、原爆を2発落とされ
ポツダム宣言を受諾して終わりとうことになり、これでもう戦争はない平和な世の中になりましたという
おさまり方だったように思う。

ところが最近では、中国がメキメキ軍拡に走り、ISが暴れ、いよいよ日本も戦争準備というような安保
改正が可決されようとしている。平和主義は貫きたいのは山々なのだが、アメリカの傘もそろそろ穴があき
はじめているので、最低限自国のことは自分で守れるようにはすべきと思う。ただし、国際的には絶対
孤立しないように、絶妙な対外広報が必要になる。

中国に関して言えば、15億もの多民族の人民をまとめるには、やはり日本という憎悪の対象が必要なのだろう。
それはある程度理解するものの、さすがに最近はちょっとゲンナリだな。一時中国語をまじめに勉強し、
今でもいざとなったら日常会話ぐらいは話すのだが、気持ちはだいぶ離れている。

ISも、スンニのイスラム原理主義という錦の御旗はあるが、大国の道具にされていることはすでにワシには
バレている。そんな中で殺された二人の日本人は気の毒だな。しかし、これも本当に死んだのか、どこかで
実は生きているのかは、日本にいる我々にはわからない。その前に、これだけ軍事衛星が発達している状況で、
砂漠のオープンスペースに居る人間の場所が特定できないわけがないだろ?と思うのだが、いかに。

というわけで、末端の国民ができることは、世界の動きには日常から目を向けて、国がおかしなものを
スルッと通そうとするのを阻止する底力を持つことかな。
いかんせん、政治家のすそ野が脆弱なのはいかんともしがたい。

<あなたが平和を感じる時は?>
娘は小学4年生で、今でも学校まで手をつないで送っているが、そのまま仕事に行くときには、学校手前から
学校を過ぎたあたりで、小学生のシャワーに会う。
子どもたちの元気な笑い声を聞くにつけ、平和を感じると同時に、「この子たちに、どういう世の中を残して
やれるのだろうか?」と重い責任を感じるのである。