小学校から英語って言う前によお

最近、小学生から英語を勉強させるか否かの議論が巻き起こっているようだ。というよりも多くの小学校で英語を取り入れるのかな。
悪いことではないと思うのだが、前提としての人間形成や、日本人としてのバックボーン(ここですでに英語を使っている自分がイヤなのだが)を教えることが欠落したままで、英語だけが取りざたされることに違和感を覚える。

正しい日本語、正しい礼儀作法、人間として生きるべき道を知らずして、英語だけ覚えても、英語を話せない人を見下すだけの、鼻持ちならないクソガキを量産することになる、という心配はないのだろうか、文部大臣さん?(誰だっけ?)

自分は、受験英語あがりで、30過ぎでアメリカ生活も経験し、仕事でもある程度英語は使えるので、それなりに英語のメリットは享受しているし、今後も就職だの旅行だので多少のアドバンテージはあると思う。ただ、それもまともな教育を受け、親に引っぱたかれたりしながら、間違った方向に逸脱(いつだつ)しなかったという前提の話である。

昨今の、犯罪オンパレード報道を見るにつけ、まず一人の人間としてどう生きるべきか、また死ぬべきか、ということに、真剣に取り組む教育がなければ、小学校から英語もへったくれもないのではないか?

そもそも、ワシの娘が無事に育って就職するであろう20年後に、まだ本気で米国が世界の覇権を握っていると思ってるのだろうか?ワシはそうは思わんね。単に就職という点だけから言えば、中国語の方がいいかもしれない。
もっとも、自分はスカンジナビア諸国、特にフィンランドに興味を持っていて、できれば将来かかわっていきたいと思うので、そういう場合は英語は有効だろう。それぞれの国の言葉(フィンランド語、スウェーデン語、ノルウェー語)を今から覚えるのは大変だし、これらの国々の英語率はきわめて高い(90%以上)ので。

だから、何事も近視眼的に「英語、英語」「脳力、脳力」と浅ましく右往左往するのではなく、大局を見据える目を養いたいと思っている。毎度のことながら、自分にとっての合気道もその一環として位置付けている。

なんで今日こんなことを書いたかというと、自分の過去ログの下に、「子どもに英語を学ばせたい」という、教育熱心な親御さまが喜びそうな広告があるのを見たからなのだな。