インガー(因果)ネエ。

ミャンマー語で火曜は確か、「インガーネ」だったと思う。
タニンラーネ、インガーネ、ボウッダフーネが月、火、水だったような、、、、。


今朝の「純情きらり」はいよいよ試験本番。サクラもタツヒコも一次はパス。
二人の盗まれたかばんは出てくるのだが、タツヒコはアパートの住人を疑いはじめる。
最終のピアノ実技の前に、サクラは外でジャズの音に引き寄せられて、アルトサックスのバスキング(ストリートプレイ)の輪のところに行く。2時からの実技の時間をすっかり忘れてしまい、慌ててダッシュするが、明日はどうなることやら。


愛知県で、9ヶ月の娘を夫婦で浴槽に沈めて殺すという、なんとも痛ましい事件がまた起きた。9ヶ月といえばミジュと同級生。殺す前にも、タバコの火をつけていたりしたらしい。鬼でもそんなことはできんだろうに。
もう、そういう鬼畜は、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクルねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)に出てくるワンシーンのように、生きたまま生皮をはがして発狂させて殺すのが妥当と思うが、法務大臣どう思うね?
ああ、あなたは死刑反対派だったね。


(夕刻)
昼休みに、娘と同い年の子の無慈悲な話を目にして思わず過激なことを書いてしまった。

しかし、今読んでいる砂泊(すなとまり)氏の本を読むと、1970年代にすでに世の中を憂いておられたが、21世紀に入ってからは猟奇的、鬼畜的犯罪のニュースを聞かない日はないぐらいだ。
いったい我々はどこに向かっているのか、何をしたいのか、ということを一人一人真剣に考えるべきときに来ているのではないだろうか。


この本に繰り返しでてくる、植芝盛平翁が残した合気道の真髄を表すことばをここに引用させていただく。
「合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ」
これをもってしても、合気道が単なる体術ではないことが明らかであり、それゆえなかなか理解することが難しく、かつ果てしなく深いのではないだろうか。