再び夕張の話

amigo_kimura2007-08-08

まだ、北海道の余韻が十分残っている。

3日目は、美瑛から富良野に下り、占冠経由、樹海ロードを通って夕張へ。結構な距離だった。
北海道を走っていて思うのは、みんな飛ばすなあということ。
元走り屋のわしも、さすがに娘を後ろに乗せていてはそんなに飛ばすわけにはいかない。それにしても、土砂降りのワインディングロードをみんな70−80キロで走るんだものなあ。

夕張が近づくにつれて、胸がざわつくというか、なんか妙な気分に包まれた。
住んでいたのは幼稚園年長〜小学校二年の途中まで。市内までずいぶん遠い印象だったが、車で流すとなんと小さい町か。
住んでいた鹿ノ谷駅の、向かって右側は、雑草が生い茂り、その中に新しいアパートや一戸建てが二三軒建っていた。
住んでいた家の畑には、小川が流れていたと思うが、それも埋め立てられていた。
鹿ノ谷駅には、当時は線路が5本以上通っていたように記憶しているが、今はまったくの単線。
要するに、その当時は炭鉱の真っ盛りで、夕張がもっとも栄えたときなのかもしれない。

そばやの藤の家の上の方には、当時栄えていたであろう、スナック系の歓楽街の名残があった。

今、破産した夕張だが、残念ながら再生の兆しは見えなかった。
1000円で買って持ち帰った夕張メロンはやたらおいしかった。


さてさて今日はバンド練習。