土曜雑感

今朝は4時前には目が覚めており、走ろうかなあと思いつつも寒いし(マイナス5度ぐらい?)、布団の中でグダグダしてしまった。結局起きたのは6時半ぐらいかな。

そろそろ寒の底に来ているのかなあという感じ。

 

さて、聖火リレーの話は途中になっているが、日経の「私の履歴書」武藤氏の話は東京2020の話に入ってきた。最初の頃は少し面白かったが、徐々に政治家、企業トップにありがちなつまらない話になってきて、読むのをやめてしまったが、東京2020になると、また少し読む気が起きてきた。

 

自分の武藤氏の評価は、中から見ていても、可もなく不可もなく。まあ、役人としての仕事をちゃんとやったとしか言いようがない。一方、あのコロナ下の難しい状況を乗り切ったのは、中村英正氏がいたからではなかろうか?立場はGDO=ゲーム・デリバリー・オフィサー。大会会期中はMOC(メイン・オペレーションセンター)チーフ。3年近く経って振り返ると、あまり話題にもならなかったが、彼の果たした役割は極めて大きかったと思う。

 

自分は聖火リレー業務を終えて、パラリンピック担当に戻り、パラ関係の対外用資料を作ったりしていたが、重要な局面で、直メールで中村氏プラスその他大勢CCに入れて、メールで相談し、迅速に決められたことがあった。ちなみに自分はごく末端の広報局員だった。彼の判断の速さを見て「役所にはまれにみる優秀な人だなあ」と瞬時に理解した。ただ、組織の上の人と直メールでやりとりしたことについては、直属の上司からは、「木村さーん、ああいうのはさあ、ちょっと困るんだよねえ」と言われたものだ。

「おまえもPR会社出身だろうが?」といいたかったが、これは出身がどうのというよりも、性格的なものなのかな? その後もちょくちょく上の人と直接やりとりするたびに、苦言を呈されたのであった。

ただ、一刻を争う状況で、どんくさい職制を通じて上げていくのではとても間に合わないので、自分の取ったアクションは間違いではなかったと確信している。

いつかまた、一緒に仕事をしたいと思う、数少ない一人ではあるが、今は財務省の要職で活躍されているようだ。

 

話は変わり、今週から就活再開で、そうなると急ピッチで動き出すタイプなのだが、某公的機関についてはちょっと出鼻をくじかれた。

大学の卒業証書のコピーが必要と書いてあり、ハロワで安曇野の家にはなく、横浜の家に行けばあると思うと話し、それをその公的機関にハロワから伝えてもらい、折り返し連絡を待っていた。

その間に、今一度応募要項をじっくり見たのだが、なんと、専用の応募票と履歴書があり、それを取得するには封書で請求し、中に切手を貼った返信封筒を入れよと書いてあった。はっ??この令和の時代に何言ってんねん? そんな体質だから、いろんな大事件が起こるんだろうが??応募者が時間と金を使って、そんなもの取り寄せるかね?

ということで、その機関から電話が来た時に、こちらからお断りした次第。

こんなことでは日本の国〇はお寒い限りと思ってしまった。

 

というわけで、出鼻をくじかれながらも、来週からぼちぼちエンジン回転数を上げていく。