トーチストーリー2

さて、イベント運営そのものは、広告代理店の子会社のイベント会社が行い、さらにそこからイベント運営会社にアウトソースされる。特にこの時代のイベント屋さんは、代理店も運営会社も気の荒い連中が多かった。

最初の全体ミーティングで、僕を読んでくれたIさんが「資料が全然来ていない」と言ったら、イベントを請け負う子会社の30代のやつが、「そんなの来ないじゃなくて、自分で取りに行け」と当時50代だったIさんに偉そうに言ったのを覚えている。その文句を言ったO氏は自分と同じ日本海ルートの担当となったのだが、根は悪いやつではなく、途中から仲良くなったのだが・・・。

 

当時の資料を見ると、リレーが走る前日に組織委、県(府)実行委員会、スポンサー参加による、記者発表を行っていた。その土地を走る有名ランナーも1名は来ていたと思う。記者発表の司会進行は各ルートの広報担当がやることになっていて、自分も5か所以上やったのかなあ。15府県を一つ置きでということは、そういうことになるか。

2020大会の聖火リレーでは、そのような各県の記者発表はなかった。

 

ということで、1998年1月某日に最初の出発点である、沖縄に向かったのであった。

 

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さて、今朝は頑張って5時半にランニング出発。

24日が11キロだったので、今回はいきなり20キロではなく15キロを目指した。

ベイシア堀金店に向かって下り、そこから拾ケ堰自転車ロードを北上するルート。ただし、6時半ぐらいまではまだうす暗かった。

足の筋肉、膝関節、かかとが痛くならなかったのは収穫だった。

12/30は15キロ。5時より7時のほうが寒くてびっくり